子育て支援の事務所である「ファミサポ」にはときどき個性的な若い人が来ていたりする。

学校に行けてない人、家庭に問題を抱えた人、悩んでいる保護者の方の話を聴くこともよくあったし、今もある。まあいろいろな人が来ていた。この事務所は単なる事務所で、相談室らしい空間ではないし、カウンセラーもいない。話を聴いている横でスタッフは普通に仕事をしている。話を聴く、と言っても傾聴と言う感じでもない。助言らしいことは時々するけれど、指導などできる立場にはない。深刻な話もあったし、なかにはここから、それなりの施設に送り出したこともありました。

「子どもの居場所」どんな場所がいいのか、その実践はしたことがないから定義はよく分からないけれど、いろいろな場所で受け入れられる大人がいたら、そこが居場所になるのもありかと、経験から思ったりする。

かつて、時々、「学校の先生に許可もらってきました。」と言い、部屋の隅の椅子で体を丸めて過ごしていた子がいました。頻繁ではないけれど、やってきては隅っこにいる。忙しい時にはお茶くらいいれてくれたかな。会話はうつろで、本当なのか作り話なのか、正直よく分からない時もありました。

その頃から、もう20年近くが経ちました。かつて子どもだった人が大人になりました。その子が自分の来し方を話すようになり、改めて、ずっと家族の中できつい思いをしていたことを話してくれた。そのことを言葉にするのに、それなりの長い時間が必要だったんだね。あの頃は言葉に出来なかったから、でも誰かの傍にいたかったんだろうなと今思う。当時も聴きながらきついだろうとは思っていたけれど、今もただ話を聴く。共感する、いっしょに怒る。そして自分なりに生きようとしている今を賞賛する。自分らしく生きようとしている人には賞賛しかない。ようやくそうできるようになったのだから。

いろいろな場所が居場所になりうるなら、地域にはまだまだいい場所があると思えるし、子どもが安心できる地域になれるかもしれないと希望が持てる。その子が大人になり、また訪ねて来れたらさらにいい。自分を確認してまた社会と向き合ってくれたらと思う。